
この項目では行政区分としての岩手県について説明しています。
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岩手県(いわてけん、英: Iwate Prefecture)は、東北地方に属する日本の都道府県の一つ。県庁所在地は盛岡市。
目次 |
東北地方の北部(北東北)に所在し、北は青森県、西は秋田県、南は宮城県と境界を接している。面積は15,378km²で、日本の都道府県としては、北海道に次いで2番目に広い。県の人口およそ140万人のうち、100万人以上は、内陸部の北上盆地に集中している。
「岩手」の名称は、県庁の置かれた盛岡市の所属郡名「岩手郡」に由来する。その起源については、「住民の悪鬼追討の祈りに対し、人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)がそれを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた」という故事にならうとされる。
また、「岩手」の名が文献に登場するのは、「みちのくから都に献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた大納言に預けたが、取り逃がしてしまった」という大和物語の一説の鷹の名「岩手」が初めてだといわれている。 帝は、岩手を失った悲しみを「言わないことが言うことより気持ちが勝る」の意味で、「岩手=言はで」に掛け「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じたという。この表現は、古今和歌集の中からの本歌取りである。
気候区分は北部および西部の山岳地が日本海側気候東北・北陸型気候区に属すが、その他は太平洋側気候三陸型気候区に属する。沿岸部は夏は涼しく冬は内陸ほど寒くないが、北上盆地は内陸性気候であり、夏は暑く冬は寒い(→東北地方#気候)。
県内全域が豪雪地帯であり冬には県全域に雪が降るが、積雪量には地域差が大きい。西和賀町は積雪量がかなり多く、特別豪雪地帯に指定されている。奥羽山脈では、積雪量が多く雪質もいいため、いくつかのスキー場でスキーやスノーボードの国際大会や国内大会が開かれることが多い。
太平洋側の盆地である北上盆地は、冬季の西高東低の気圧配置になると奥羽山脈が「壁」の役割をはたして晴天になる場合も多い。そのため、放射冷却によって早朝の最低気温がかなり低くなる。対して、降雪時や曇天の場合は気温が下がりづらい。北上盆地に位置する盛岡市は、このような放射冷却の影響がある脊梁山脈東側盆地の最北端都道府県庁所在地であるため、日本海側のため冬季は曇天が多く、放射冷却がおきづらい青森市や札幌市など、より北に位置する都道府県庁所在地よりも最低気温が下回る時が通常で、東北地方では勿論、日本の都道府県庁所在地で最寒都市である日が多い。
一方、北上盆地の夏は、フェーン現象の影響で、南にあり海洋性気候の傾向もある仙台市よりも気温が高いことがしばしばあるが、沿岸部は仙台市と同様の気候となることが多い。
古くは縄文時代より豊かな狩猟・漁労生活を実現した地だった。
8世紀末の38年戦争では胆沢にアテルイが現れて朝廷軍を苦しめるが、征夷大将軍に任ぜられた坂上田村麻呂によって滅ぼされた。その後朝廷の勢力下に置かれ、蝦夷と呼ばれた人々は多くが全国に強制移住させられた。この後一部が俘囚と化し、11世紀までに俘囚長の安倍氏が半独立の勢力を築いた。安倍氏は前九年の役で源頼義の率いるヤマト朝廷軍になびいた秋田仙北の俘囚主清原氏によって滅ぼされた。その清原氏も一族の内紛から後三年の役で滅び、安倍氏の血を引く奥州藤原氏が東北地方を掌握、豊かな産金をもとに仏教を基盤とする地域支配を実現、その平泉時代を築いた。
鎌倉時代には甲斐国南部の河内地方を領した甲斐源氏の南部氏が八戸周辺に移住し、今の青森県から岩手県北及び秋田県鹿角地方にまで勢力を伸ばした。県央部では斯波氏、稗貫氏、阿曽沼氏、和賀氏などが割拠し、県南部は葛西氏、留守氏が有力だったが、次第に福島県伊達郡に根城をおく伊達氏の勢力が浸透し、室町時代には葛西氏、留守氏は伊達の馬打ちとして事実上支配下におかれた。
これらの諸氏は伊達氏の内紛によって再び自立するが、伊達政宗の仙台移封を機会に葛西氏は滅亡、留守氏は伊達氏の一族として組み込まれた。同じ頃、安倍氏の末裔である一方井氏を母に持つ七戸南部氏の南部信直が勢力を拡大し、南部所属の頭領として振舞うようになると、これを認めない九戸南部氏の九戸政実と争い、豊臣秀吉の知遇を得た信直は秀吉軍を招きいれて政実を滅ぼした。南部氏諸家を統一した信直は盛岡に拠点を移し、勢力を確立した。(九戸政実の乱)
江戸時代には、県の南部は概ね仙台藩伊達氏に62万石、一関藩は田村氏、花巻には伊達氏城代が置かれ、北部は移封も無く盛岡藩南部氏によって20万石統治された。幕末に東北諸藩が奥羽越列藩同盟(北部政府)を作ると、現在の岩手県を支配していた南部藩・伊達藩はその中心となるが、結局敗れて明治政府によって占領された。
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その後、盛岡県を岩手県に改称させられ、莫大な御用金を課せられたり、旧藩を分断する県域を設定され弱体化を図られるなど敗戦の屈辱を味わう。しかし、これをバネに多くの人材を輩出。原敬が内閣総理大臣に就任して薩長藩閥政治を終わらせ議会政治の定着をはかるなど、近代日本国家建設に多くの功があった。
戦後、1950~1960年代には、山岳地帯のため交通の便が悪いことや、主な産業が新日本製鐵の釜石製鐵所位しかなく、所得水準が全国でも低いことから、自ら「日本のチベット」と呼び、政府の振興策を求めたこともあった。なおこの呼称は、1955年1月22日封切のニュース映画『カメラルポ 脚光あびる日本のチベット 岩手三陸』において用いられたことから定着したという。
その後、1964年にいわて花巻空港が開港、1982年に東北新幹線が開通して、首都圏からは約3時間、仙台からも1時間圏内(当時)となり、交通の便は改善された。これに伴って、安価で広大な土地や豊富な水などを背景に、北上市、金ケ崎町周辺を中心として工場の進出が急激に進展。関東自動車(トヨタ自動車)などの自動車産業、東芝や富士通などの半導体工場、塩野義製薬など大企業の工場の進出が進み、製造品出荷額が大きな伸びをみせた[1]。
その一方で、情報の格差の是正は他の都道府県に比べ、大幅に遅れた。県内民間放送局のうち、後発2局は平成に改元されてからの開局だった。ただし、現在北東北においてテレビ東京系列局以外の各系列民間放送局がそろっているのは岩手県だけである。
2008年には、6月14日に岩手・宮城内陸地震(最大震度6強)が、7月24日に岩手県沿岸北部地震(最大震度6弱)の大規模地震が発生した。
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
総計 [単位 千人]
| 年齢 | 人口 |
|---|---|
| 0 - 4歳 | |
| 5 - 9 | |
| 10 - 14 | |
| 15 - 19 | |
| 20 - 24 | |
| 25 - 29 | |
| 30 - 34 | |
| 35 - 39 | |
| 40 - 44 | |
| 45 - 49 | |
| 50 - 54 | |
| 55 - 59 | |
| 60 - 64 | |
| 65 - 69 | |
| 70 - 74 | |
| 75 - 79 | |
| 80歳以上 |
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
男女別 [単位 千人]
| 岩手県と全国の年齢別人口分布図(比較) | 岩手県の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は岩手県
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
詳細は衆議院小選挙区一覧#岩手県、岩手県選挙区をそれぞれ参照
1995年以降、細川内閣(当時)打ち出した大規模景気対策に乗って公共投資を拡大させ、その後1997年まで、積極投資を拡大させた。当時県知事を務めていた増田寛也は、退任後の取材に「国の財政的限界で、いずれ予算が回らなくなるのは分かっていた(中略)…東北新幹線や花巻空港、釜石自動車道など(骨格的な事業)は、先にやってしまおうと思った」と答えている[2]。結果的には彼の読み通り、小泉内閣が発足した2001年以降、公共投資予算は年10%以上の割合で急速に縮減され、財政再建に大きく舵を切った。
県自らも、県議会での質問に答える形で、財政悪化の原因について自己分析している(→増田寛也#財政再建など参照)。
かつては、産業がほとんどない事を自称していたが、東北新幹線や東北縦貫自動車道などの整備に伴って、企業の誘致が進んでいる。企業の誘致には、法人税や、従業員からの所得税収、関連企業による経済波及効果などで大きな税源涵養が見込まれることから、全国の自治体が誘致にしのぎを削っている。岩手県もこの例に漏れず、誘致に腐心しており、これまでにトヨタ自動車系の生産工場、東芝のフラッシュメモリ工場、富士通などを誘致した。こうした功奏から、1995年以降は製造品出荷額が伸びを示し、47都道府県中、県民所得は40位台後半から、38位にまで改善した。東北6県でみると、福島県、宮城県、山形県に続く数字である[3]。
特に自動車産業については、トヨタ自動車が東北地方を新たに生産拠点と位置づけており[4]、今後とも一層の誘致が見込まれる産業分野である。
貯蓄率が極めて高いことで知られる。地方の県としては珍しく、県内に3行の地方銀行(第二地銀を含む)を持ち、保有する金融資産は4兆円以上に達する。県民の貯蓄率は39%で、東北地方平均の25%、全国平均の16.5%を大きく上回り、東北では宮城県に次いで2位、全国でも9位の高率を保つ[5]。
平成18年農林水産統計によると、農業産出額は2,544億円。食料自給率は106%であり[6]、北海道や青森県、秋田県、山形県などと共に、自給率100%を超える数少ない県の一つである。広大な面積と、山岳に囲まれた地形のため、地域によって気候が大きく異なるところがあり、特性に応じてさまざまな形態の農業が営まれている。
穀物、畜産業などが伝統的に盛んである。林業は、県が木質バイオマス事業などの自然エネルギー活用に熱心なこともあって、生産高188億円(平成17年)と、全国5位の数字を出している。
水産業では、三陸海岸周辺が、黒潮による豊かな漁場として知られている。リアス式海岸の岩礁は、ワカメや海苔といった海藻類の養殖にも適しており、ワカメとあわびの養殖で、生産高全国1位の規模を持つ。
製造品出荷額は2兆1000億円で、東北地方では福島県(全国順位19位)、宮城県(同24位)、山形県(同28位)に次いで4位(同31位)である。
長らく主要な産業が新日本製鐵釜石製鉄所(釜石市)ほどしかなく、政府の救済策を求めたこともあったが、1991年に東北新幹線東京・盛岡間が開業すると、企業誘致が急速に進展した[1]。1993年に関東自動車工業(金ケ崎町)が進出して以来、製造業は大きく進展し、県民所得は全国40番台後半から、30番台まで向上した。このほか、県南には富士通や塩野義製薬、東芝などの工場が立地する。
特に、2008年2月に決定された東芝・フラッシュメモリ工場の北上市への建設は、波及効果を合わせると1兆円程度の経済効果があるとされ、県は法人税減免や低利融資などを通じて、これを後押しするとしている。東芝が「行政からの融資措置だけでなく、質の高い人材の確保が容易なことが決め手になった」とし、「金のかからない新しい産業誘致モデル」として注目された[7][8]。工場新設に当たって、北上市はこれまでに蓄積した企業誘致と合わせて、法人税、固定資産税の大きな増収が見込まれることから、国から地方交付税の交付を受けない「不交付団体」への昇格を果たすことになった。岩手県では、かつて製鉄業が隆盛を極めていた時代に釜石市が不交付団体となっていた前例があり、「それに次ぐ快挙」(2008年2月・岩手県知事定例記者会見)と評された。
自動車産業に関しては、トヨタ自動車が、東北地方を新たな生産拠点とする意向を示しており[4]、すでに金ケ崎町に立地する自動車工場も、現行より10万台増の25万台生産規模まで拡大されることが決まっている。自動車関連産業の集積を進めるため、岩手県は、セントラル自動車の進出が内定している宮城県や山形県、福島県などと連携して、今後も誘致活動を展開していくとしている。
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観光業の振興に腐心している。2007年には、盛岡市を舞台にしたNHK連続テレビ小説「どんど晴れ」が放映され、盛岡さんさ踊りに訪れた観光客が8.7%増えて128万3000人となり[9]、一定の効果が上がっている。2008年には、奥州藤原氏の栄華の遺産「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」(平泉町、奥州市、一関市)の世界遺産登録を目指した。登録は結局見送られたものの、文化庁・岩手県では、ユネスコへの再度の申請を目指している。
北東北では唯一、民放キー局4波すべての系列局を持つ。
都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷
| 1980年 | 新 | 1990年 | 1995年 | 新 | 道 | 2000年 | 新 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 盛岡都市圏 382,706人 |
東 北 新 幹 線 開 業 82 年 大 宮 85 年 上 野 91 年 東 京 |
盛岡都市圏 418,459人 |
盛岡都市圏 461,605人 |
97 年 秋 田 新 幹 線 開 業 |
97 年 秋 田 道 で 秋 田 港 直 結 |
盛岡都市圏 475,541人 |
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