日本のアナウンサー


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本項目では日本のアナウンサーについて、また放送メディア以外のアナウンサーや、これに関連する職業について述べる。

目次

概要

一般的にアナウンサーは、芸能界をはじめ多方面の人物や事物に接することができ、また様々な歴史的瞬間に立ち会うチャンスもあることから、華やかな職業であるとの認識が強い。またTV局におけるアナウンサーの採用試験は数千倍の競争率ともされる「狭き門」で、「憧れの職業」のひとつである。

また昨今は、TV局のアナウンサーを中心に「タレント化・アイドル化」が進み、その資質に容姿も含めたタレント性が求められるに至り、悪い意味も含め「芸能人扱い」される場合が多い。

その一方で、「自分の声・言葉」を用い「広く一般に事象を伝達する」という本来の職務には後述する高度な技術が要求される。また、マスコミの持つ巨大な社会的影響力の「出力部」的なポジションであるがゆえに、その責任は重大である。

アナウンサーは正しい日本語の担い手とされる。文法・イントネーションの誤りや、品の悪い言葉を用いた場合、放送局に苦情の電話が入ることもある。
通常、共通語[1]の使用が求められ、地方出身のアナウンサーは方言アクセントが無意識に出てしまいやすく、業務遂行上のハンデであるといえよう。

滑舌を良くするため、トレーニングには早口言葉が取り入れられている。また語彙の豊富さや言葉の美しさ、情感の豊かさも求められるため、文学・演劇などを積極的に学んでいるプロ意識の高い者もいる。

主な業務

日本のアナウンサーの業務には、一般的に次のようなものがある。

上記の「視聴者・聴視者」向けの職務のほか

  • 番組出演の前打ち合わせと準備(メイク衣装合わせ、原稿の下読みなど)、及び反省会。
  • ディレクターを兼ねたり、編集作業の一部を担当(地方局ミニ番組では人員的制約によりこの傾向が強い)などの地味な作業もある。

報道・スポーツ・バラエティといった、担当する番組の傾向がはっきりしているアナウンサーが多い。特にテレビ局では、本人の希望や適性に応じて各分野ごとの人材育成や住み分けが図られるケースが多い。複数の分野に強い、オールラウンドプレイヤー的なアナウンサーも一部に存在し、特にラジオ局はその傾向が顕著である。

その職務はニュースキャスターリポーターと重なる部分が多い。また場面によってこれらの呼称に変化することもある。ニュースキャスター#キャスターとアナウンサーの違いも参照。

また放送局所属のアナウンサーとそれ以外のフリーアナウンサーに大別できる。違いについては局アナとフリーアナウンサーの違いの項で述べる。

歴史

ラジオ放送開始時には、当然ながら「経験者」や手本になる資料などは存在せず、また組織的な研修も出来なかったため、新聞記者や編集者から選抜されたものがこれにあたり、各自で話し言葉のスタイルを模索しつつ遂行した。

1925年3月22日社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)によりラジオ放送が開始され、東京日日新聞の運動部記者出身の京田武男が第一声を発した。放送開始時のアナウンサーは他に、大羽涛、熊崎真吉、桐野音次郎の3名。

日本初の女性アナウンサーは1925年6月に東京放送局に入局した翠川秋子である。前職は絵の教師や雑誌の編集者であった。

日本初のスポーツ実況中継は、1927年8月13日第13回全国中等学校優勝野球大会札幌一中青森師範の試合で、社団法人日本放送協会の魚谷忠(元銀行員)が担当した。

1953年2月1日テレビ放送開始。第一声はアナウンサーではなく、NHK会長の古垣鐵郎の挨拶であった。1956年放送開始のNTVニュースで、初めてアナウンサーが画面に顔を出して原稿を読むスタイルが登場した。

1961年にNHKを退職、翌年民放番組の司会を担当した高橋圭三が日本初のフリーアナウンサーであるとされる。

放送局のアナウンサー

アナウンサーのうち、放送局の社員として活動している者は俗に局アナと呼ばれる。

  • 局アナは、編成部門のアナウンス部あるいは放送部などに属している。労働条件については正社員のほか、契約社員として勤務している者もいる。
  • 局アナは「社員」なので、基本的に局内に机もあり、仮眠室・食堂・ネットワーク・保険など社内の施設・福利厚生を利用できる。しかし、若手を中心に宿直・早番・遅番などの交代勤務があり、早朝や深夜の生放送を担当する場合も含め、勤務時間や生活サイクルが不規則になることが多い。報道・情報番組は放送開始2時間前には出勤する必要があるため、早朝番組出演者は午前1~2時頃に自宅を出るなど、その勤務実態は過酷である。職務の性格上、祝日も無関係であるが、一般に年に1回5日間程度のまとまった休みをとることが認められている。一部放送局では、労働組合との協定で週休二日制を強く守っている場合もある。
  • 多くの放送局では、アナウンサーは専門職とされ、特に本人が希望した場合や報道記者への異動、海外支局への転出などの例を除き、異動の対象になることは少ない。また、近年は少なくなったが、所属する放送局が系列局を新設する際にアナウンス部門の指導員として新設局に出向するケースもある。
  • 別部署に異動していた元アナウンサーが復帰する例や、報道記者が転身する例もあるが、他部署から新たにアナウンサーになる例は少ない。また、アナウンス部以外の部署に所属していても番組出演機会がある場合、「アナウンサー」の名称を用いるケースもある。
  • 専門職であるため、仕事を求めて別の局へと移籍するケースもある。中途採用の場合、こういった経験者がほとんどであるが、異業種からの転職も見られる
  • キャリアを重ねて管理職になると「チーフアナウンサー」や「エグゼクティブアナウンサー」の肩書きを持つケースが多い(主にNHK)。
  • アナウンサーが放送局の役員に就任した例としては、ニッポン放送社長に就いた亀渕昭信が有名で、任期内にライブドアによる買収騒動があり、渦中の経営者として報道される側になった。
  • アナウンサー職のまま、役員に昇格する例は、2003年に朝日放送取締役に就任した道上洋三(2007年に退任、現在は常勤顧問)などを除き稀で、多くは他部署に異動後、就任している。(亀渕も編成制作部門を経て就任)
  • 放送局の正社員、契約社員として所属している者のほか、TBSのようにTBSニュースバードのキャスターやTBS954情報キャスター(ラジオのみの出演)といった専属のアナウンス要員を持つ局もある(局によっては「リポーター」「パーソナリティ」と称する場合もある)。TBSニュースバードキャスター及び、954キャスターは同局の社員ではなく、グループ会社や外部の芸能事務所からの採用である。
  • フジテレビは、かつて「専属リポーター・司会者募集」の名目でアナウンサーを募集していた。これは当時同局に存在していた「労組・第二労組」の2組織に対し、フジサンケイグループ議長だった鹿内信隆が、組合所属のアナウンサーをそのまま“アナウンサー”と呼び、第二組合の所属者を“リポーター”(正式名は「報道局解説放送室付リポーター」)や「司会者」と呼んで差別化を図っていた、いわゆる会社の内紛に起因した事象であった。当然ながら、どちらも業務内容は全く同じで、これがアナウンサー採用試験と知らずに受験した者もいたほどであった。田丸美寿々辛坊治郎らもその一員とされる。
  • パソコンテレビGyaOは「ギャオーディション」というオーディション番組で「局アナ」を募集した。これはGyaOでのアナウンス業務をはじめ、ドラマ・バラエティ・映画など、自社媒体の番組へ出演する者の公募であり、Gyaoを運営するUSENの社員としての募集ではないので、一般にいわれる局アナとは意味が異なる。

局アナの採用

  • 新卒採用の場合、4年制大学卒業を必須としている局がほとんどで、募集要領に年齢制限、あるいは留年制限を設けているところが圧倒的に多い。
  • 前述の通り、非常に人気の高い職種であるため、その競争率は高い。学生時代にアルバイトでアナウンサーやリポーターの経験を積むか、アナウンススクールで指導を受けた方が有利であるとされる。
  • 採用試験では正しい日本語が話せるか、好印象を与える雰囲気・容姿を持つか、とっさの機転が利くかなどが重視される。語学やスポーツといった、業務に活かせる得意分野が求められる場合もある。
  • 入社後は、数か月間の研修ののち、短時間のナレーション提供読みスポットニュースのような難易度の低いとされる業務に就き、多くの場合、入社後半年から1年でレギュラー番組出演となる(初めての生放送出演は「初鳴き」と呼ばれることも)。稀に、研修と平行して4月の入社時からレギュラー番組を獲得するケースもある。こういったケースは人員の少ないローカル局がほとんどであったが、近年はキー局でも見受けられるようになった。

「女子アナ」とその背景

概要

「女子アナウンサー」を略しての言葉ではあるが、その「タレント化」が顕著であるとされる者を特に指し、揶揄的に用いられる場合がある。非常に人気の高い男子アナウンサーも存在するが、これを「男子アナ」とは呼ばないことがその証左である。

1980年代後半以降に採用された女子アナの大半が、俗に言う「ブランド大学」の出身であり、またその多くがミスキャンパスに選出された経歴を持つのは事実である。また、業務上必要なアナウンス技術より、容姿を優先したり、本来は許されないはずの「読み間違い」等のミスを視聴率獲得のため珍重した結果、芸能人さながらの扱いを受けるケースが多い。
「下手な芸能人を使うより、自局の「女子アナ」を起用した方が視聴者受けがよく、しかも安価」、と彼女らを「商品化」するのは、「とにかく視聴率ありき」の放送局の姿勢と、これを受け入れる視聴者にも責があるといえよう。
その結果、キャリアを積み、「読みの技術」が高まった中堅アナウンサーを「若い方が良い」、「バラエティ番組で使いづらい」との理由で冷遇する傾向があり、これは「女子アナ30歳定年(限界)説」なる言葉をも生んでいる。

  • 「売れっ子」女子アナはその多くが20歳代で、30歳前後の年齢を一つの転機と見るのは一般的なOLと同じである。さらに「見られる職業」の最たるものであるがゆえ、その「鮮度」が露骨に求められ、30歳頃までに人気や実力を確立できなかった者は、容赦なく裏方に配置替えされ、次々に姿を消していく。この現実は、「女子アナ30歳定年(限界)説」という言葉が象徴しており、女子アナ本人がこれに言及している例もある[2]

女子アナは各界の著名人との交流が持てる職業であり、その美貌や才能を活かし、いわゆる玉の輿に乗る者も珍しくない。また結婚退職や部署の転属のほか、独立してフリーアナウンサーやジャーナリスト女優政治家など、さまざまな職業を目指す者もいる。

彼女たちの結婚は、見た目の華やかさも相まって、嫉妬の対象にされる例も多いが、本人にとっては「良いパートナーを仕事上の交友範囲から選んだ」結果に過ぎず、自然な成り行きともいえる。また「玉の輿」は、その定義も難しく、イメージ先行の側面があると言えよう。

「女子アナ」の系譜

かつて女性アナウンサーの担当する分野は、料理育児手芸をテーマとする番組や、インタビューの聞き手などが主であった。諸説[3]はあるが、今の女子アナにつながる系譜は、1980年代のフジテレビに端緒があったとされる。1977年入社の益田由美は、なるほど!ザ・ワールドで体を張ったリポートで、「ひょうきん由美」と呼ばれ親しまれた。1980年入社の山村美智子1984年入社の寺田理恵子1985年入社の長野智子は、オレたちひょうきん族に「ひょうきんアナウンサー」と称され司会を務めた。当時は異例だった「コント色の強いバラエティ番組への参加」である。

「女子アナ」という言葉を誰が最初に作ったのかは定かではない。今とほぼ同じ意味での概念が成立し、この言葉が使われ始めたのは1980年代後半からとされることが多い。1987年にフジテレビ出版から発行された同局アナウンサーを取り上げた書籍『アナ本』の中には既に「女子アナ」という表記が見受けられる。

  • 続編として1991年に発行された『アナ本2』では、当時「花の三人娘」と呼ばれた、有賀さつき河野景子八木亜希子に焦点が当てられた。1993年には、日本テレビの人気アナウンサー永井美奈子ら3人からなるユニット「DORA」が結成され、CDをリリースした。
  • 女子アナ路線はフジテレビ、次いで日本テレビが先行していたが、TBSには1993年に雨宮塔子が、1994年進藤晶子が入社しそれぞれバラエティ番組とスポーツ番組で局の看板アナウンサーとなった。NHKには1994年に久保純子が入局し「紅白歌合戦」などに起用されNHKの看板アナとなった。以後女子アナ人気の定着とともに、各局とも女子アナと呼ばれるアナウンサーが増えていった。

タレント化に対する批判

バラエティ番組やクイズ番組などにおいて、社会的常識に欠ける発言や回答をするアナウンサーが時折見られ、これを「資質低下」として批判する意見と、番組の盛り上げ役を果たしているとして擁護する意見が存在する。石川牧子は、「若者の読み書きの能力は年々低下している」、「入社希望の学生の漢字テストの成績が良くない」と語っている[4]有賀さつきは、出演者の瞬間的なリアクションに、自分を含めた番組製作者らは台本にはない魅力を共有しており、自分もボケの役割をある程度進んで引き受けていたことや、社会的常識があるはずの局アナのイメージを逆手に取った、演出の一面があったことを明かしている[5]

アナウンサーの資質低下が事実であるとしても、これを採用・育成したのは放送局であり、アナウンサーにどのような役割を期待するかは、局や製作プロダクションの意向によるものである。アナウンサー個人の問題もないわけではないが、放送業界全体の問題ととらえた方がより正確である。
「アナウンサーのタレント化」は娯楽の範囲、とする声もあるが、アナウンサーの資質低下の容認は視聴率主義の弊害であり、「言葉をつかさどる社会的責任」の軽視は番組の低俗化、ひいては文化の低俗化に繋がるとの意見もある。
日本テレビ出身のフリーアナウンサー福澤朗も自身のブログで、「非常に憂慮している」としたうえで、「テレビはもうアナウンサーを必要としていない」と苦言を呈している。

スポーツアナウンサー

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スポーツ中継の実況担当は男性アナウンサーが務めることが圧倒的に多い。
中立かつ冷静な放送が求められるアナウンス職にあって、自らの興奮や感動をストレートに表現することが許される分野ではあるが、野球のホームランシーンなどを大声で伝える「絶叫型」を良しとしない意見もある。

  • 1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックにおいて、水泳女子の前畑秀子選手が金メダルを獲得した際、ラジオ中継を担当していた河西三省は、激しいデッドヒートを受けて「前畑頑張れ!前畑頑張れ!」と38回連呼し、日本中に感動と興奮を伝えた伝説は有名。
  • 一方で、2000年9月14日のシドニーオリンピック、サッカー日本代表の試合で得点の際「ゴール!」を20回以上(最大29回)叫んだ日本テレビの船越雅史の実況には多くの批判・抗議が寄せられた。

上記の2例には半世紀以上の隔たりがあり、世相や大衆の価値観も大きく異なっているため、アナウンサー個人の力量の点だけでこれを論じることはできない。ただデジタル放送においては「データ通信」により、微細かつ膨大な情報の入手が可能である現実を踏まえた場合、なんら創意工夫の無いまま、文字通り「前世紀の手法」を用い続ける者は、おのずと淘汰の対象になるであろう事は想像に難くない。

契約アナウンサー

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契約局員 (NHK) ・契約社員(民放など)は「契約アナウンサー」と呼ばれる。女性に多い。

フリーアナウンサー

この場合の「フリー」は、放送局と直接の雇用関係が無いことを指す。完全なフリーランスでなく、派遣事務所などに所属している者もこう呼ばれる。

局アナとフリーアナウンサーの仕事内容に実質的な違いはないが、局アナは社員としての給与と仕事の供与が保証されている代わりに、社命である業務や異動を基本的に断れない。要は局アナは「会社員」であり、その権利と同時に組織員としての義務を負う、

フリーアナウンサーの仕事は、派遣事務所や知り合いの紹介、オーディションなどを通じ、自ら獲得する必要があるが、その内容は当然選ぶことができる。報酬は実力次第で、有能なフリーアナウンサーは局アナよりも高額の収入を得られるケースもあるが、各種手当や福利厚生もなく、業務必需品は自分で揃える必要がある。また、仕事のミスに対する批判は、組織員である局アナ以上にシビアであるとされる。

最初からフリーアナウンサーとして活動する者や、別業種からの転職者もいるが、局アナがその経歴と知名度を生かし、所属局を退社=「独立」してのケースが多い。その動機は「自分を試したい・仕事の幅を広げたい」や、一説には「フリーになれば10倍以上になる」といわれる収入面での問題が多いとされる。

詳細はフリーアナウンサーを参照。

放送メディア以外の職業

司会業

司会を参照。

選挙関連

選挙立候補者の応援演説や、選挙カーから候補者名や政策を連呼する活動が知られる。女性の場合、その声の美しさを鳥に例え「ウグイス嬢」と呼ばる。男性の場合「カラス君」の俗称があるが、女性が一般的なのであまり使われない。

場内アナウンス

競技場ホールなどで、選手交代や演目などの案内を観客に告げる職業。女性の場合「ウグイス嬢」の俗称がある。

ナレーターコンパニオン

商品説明や司会進行を担当するイベントコンパニオン

これら以外にも「パーソナリティ」、「ディスクジョッキー」、「声優」、「ナレーター」、「朗読家」なども求められる資質が似ていることから、アナウンサー業と掛け持ちする例もある。

参考文献

  • NHKアナウンサー史編集委員会 『アナウンサーたちの70年』 講談社、1992年、ISBN 978-4062032322
  • 日本放送協会 『20世紀放送史』 日本放送協会、2001年、ISBN 978-4140071991
  • 小松克彦、女子アナ愛好会 『新・女子アナ時代』 双葉社、2000年、ISBN 978-4575290769
  • 共同通信社 『アナウンサーのすべて[女性編]』 共同通信社、1998年、ISBN 978-4764130364

注記

  1. ^ 以前は「標準語」と表されたが、地方蔑視につながるとしてこの言葉が推奨されている。共通語標準語の記事参照。
  2. ^ 大橋未歩 『大橋未歩のミホちゃんねる!』 集英社、2006年、ISBN 978-4087804379、190頁 等
  3. ^ 1975年、フジテレビに入社し、同局初の女性キャスターとなった田丸美寿々や、1978年NHK入局の頼近美津子を、先鞭とする見方もある。『アナウンサーのすべて[女性編]』 共同通信社、1998年、49頁、60頁より。
  4. ^ 『ダカーポ』No.341 1996年1月17日号 マガジンハウス、17頁。
  5. ^ 有賀さつき 『さつき白書』 浪漫新社、1994年、ISBN 978-4847012020

関連項目







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