
MSX(エム・エス・エックス)とは、1980年/90年代に西和彦によって提唱されたパソコンの共通規格の名称でありMSX、MSX2、MSX2+、MSXturboRの4つの規格がある。これら4つの規格をまとめてMSXと呼ぶ事から、初代MSX規格を特にMSX1と呼ぶ事が多い。また、MSX規格を満たしたパソコンの事を一般的にMSX(パソコン)という。
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1980年代初頭、8ビットパソコンでは、BASIC言語インタプリタが実質的にOSとしての役割を果たしており、国内ではシャープを除くほとんどのメーカーがマイクロソフト製のBASICインタープリターを採用していた。しかし、各メーカーのパソコン間ではハードウェア・アーキテクチャーが異なることからバイナリーは機種依存したものとなるのはもとより、BASICによって書かれたソフトウェアでさえ互換性が低く、結果的にソフトウェアは各機種専用に用意され、しかも同じメーカーでも機種が変われば互換性は著しく低かった。 当時、アスキーはマイクロソフトの極東代理店で大半の機種の開発に関わっており、多くのメーカーと繋がりがあったため、NEC・シャープ・富士通のパソコン御三家に対して出遅れた家電メーカーの大同団結を背景として、アスキーが主導権を握る形でMSX規格は制定された。そして、 家電メーカーなど、家庭用パソコン市場に参入した経験を持つ企業、または参入を計画していた多くの企業が賛同し、そのうちNECやシャープ(日本国内)などのパソコンの自社ブランドを確立しているところを除いた企業が製品を発売した。
MSX規格は、日本国内のみならず、オランダ、イタリア、スペイン、デンマーク、フランス、ドイツ、ベルギー、スイス、ノルウェー、イギリス、フィンランド、オーストリア、旧ソ連といったヨーロッパ諸国やブラジル、チリ、アルゼンチンといった南米諸国、オーストラリアや韓国といった東アジア諸国、アラブ首長国連邦、イエメン共和国、イラクといったアラブ諸国、アメリカで発売された(→英語版MSXなど)。出荷台数の総累計はそれら各国の合計で400万台以上[1]。ファミコンなどのゲーム専用機や後に普及したPC/AT互換機、NECのPC-9800シリーズ等の16bit/32bitパーソナルコンピュータ、また北米や欧州を中心に隆盛を誇ったコモドール社のコモドール64やAmigaとは桁が違うものの、単一規格のコンピュータとしては、その実績は世界でも有数のものとなっている。
当時のマイクロソフト社長ビルゲイツは「ソフトウェアに専念すべき」との事でMSX規格には反対だったが、西に説得される形でMSX規格を承認。MSXは当初はマイクロソフトの商標だったが、西がマイクロソフトを辞めるとMSXの権利は西と共にアスキーへと移り、その後2002年からはMSXアソシエーションに、2007年以降はMSXライセンシングコーポレーションへと移っている。
MSXパソコンはパソコンとして分類される事が多いが時には家電品として、時にはゲーム機として、時には楽器として、時には当時の「ニューメディア」として分類される。それはMSXパソコンが、ナショナルやビクターなどのように家電品のルートで販売されたり、ヤマハや河合楽器などの楽器店のルートで販売されたり、フィリップスのようにニューメディアと位置づけて販売されたり、主にゲーム機として利用されたりした事による。1980年/90年代の古い規格だが、今でも熱狂的なユーザーに支えられている。 しかし一方で、参入各社が自社製品にオリジナリティを持たせようと、付加価値として好き勝手に独自機能をつけてしまったがために当初の統一規格の目論見からは大きく外れ、ゲーム互換程度の最低限度の互換性がかろうじて保たれる程度となった。ビジネス的にも成功したとは言い難く、各社次第に撤退していった。
MSXは、パーソナルコンピュータとして当時の技術水準の枠内で様々な可能性を与えるために設計され、これは当時隆盛を誇った8ビットパソコン(ホビーパソコン)の中でも、際立って特徴のあるアーキテクチャーだった。
MSXは、子供に買い与えられる安価なパーソナルコンピュータ、コンピュータの学習に繋げられるパーソナルコンピュータの実現を目的の一つとして、「ホームコンピュータ」を指向して設計された。 このため、単にゲームマシンとして見た場合には同時代のゲーム専用機の表現力から数段見劣りするものの、8bitコンピュータとしては非常によく考えられたアーキテクチャとして設計されている。
何よりもまず一般家庭への普及を目指すため、家庭用途向けに画面表示や音声出力などの機能が調整されている。家庭用テレビに出力でき、専用モニタを必要としないことは、低価格でパソコンの使用環境を構築できる点において魅力的と考えられた。
また、当時の一般的なホビー用パソコンと同様にBASICインタープリタ(MSX-BASIC)を搭載、さらにMSX-DOSと呼ばれるCP/Mシステムコール互換OSも供給され、既存のCP/Mアプリケーションの多くがファイルシステムをコンバートすることによりほぼそのまま動作した。これによって、CP/M環境で整備された豊富な開発環境を利用した、アセンブリ言語や、C言語、Pascal、COBOL、FORTRAN等の各種言語の習得や開発の学習のみならず、欧文ワープロや表計算等の実務アプリケーションの実行も可能だった。
このように、MSXは単に子供に買い与えゲームやBASICで遊ばせる「入門機」としての側面のみではなく、その後本格的なコンピュータ(ソフトウェア)の学習にも繋げて行くことが可能な、総合的なホームコンピュータとして設計されている。この点がとくに日本以外の諸国では評価され、普及に繋がることとなった。
ただし、MSX1の時点においては、半角文字の80カラム(1行80桁)表示が不可能だった。また、漢字の表示に関しても当初は統一仕様が無く、漢字ROMの仕様はあったものの標準搭載機はごく限られていた。さらにはフロッピーディスクドライブ(以下FDD)、機種によってはプリンタインターフェースさえもオプションだった。高解像度表示を長時間閲覧する際に最低限必要となるRGB出力端子を搭載しているマシンも少なく、後付けも不可だった。
特にFDDはMSX本体の価格に匹敵するほど高価なものとなり、CP/M(MSX-DOS)環境を目当てに購入するユーザーは少なかった。表現力の面でも同時期の既存のゲーム機(端的にはファミコン)と比較すると劣っていたことから、日本国内ではもっぱら「中途半端な子供の玩具」として受け取られていた点は否めない。
この評価は、のちに表現力を増し、FDDを搭載していれば最低仕様のままでMSX-DOSの動作も可能となるMSX2の登場をもって、一時的には解消されることとなる。しかし、その後MSX2の市場は熾烈な低価格化競争に突入し、安価な一体型MSX2マシンが普及したため、最終的に「子供向け」「ゲームマシン」との見方を返上するには至らなかった。
このような事情から、「MSXは、当初よりMSX2仕様で開始すべきだった」「FDD搭載の高級機を併売すべきだった」と、後々まで語られることになる。
MSXといえば、まず「統一規格」という言葉が語られる。これは単にCPUや、VDPなどのI/Oデバイス、メモリマップやI/Oマップ等を規定するレベルに留まらず、一部の例外を除きハードウェアへの直接アクセスを禁じ、オペレーティングシステム(BASICおよびDOS)と密接に連携したBIOSレベルで互換性をとるアーキテクチャを制定したことが、最大の特徴と言える。
これを受けて、当時の8ビットコンピュータとしては異例とも言える、豊富かつ強力なBIOS群を整備し、オペレーティングシステムとしてBASICとMSX-DOS(のBDOS)がこれらのBIOSを共用し、一貫して高い相互互換性を実現していた。
強力ゆえにコードの絶対量が増加しがちな豊富なBIOS群を、64KBというZ80の限られたメモリ空間内で実現するため、また有効に活用し拡張を容易にするために、当時の水準としては柔軟な、スロットと呼ばれるリソース管理手法を採用した。
RAMはもちろん、BASICやOSの収められたシステムROM、ゲーム等のROMカートリッジ、そして各社の独自拡張による周辺機器(ハードウェア)もこのスロットを用いて管理する。周辺機器にも必ず拡張BIOSが付随し、BIOSは起動時に初期化ルーチンを呼び出され、ベクタをワークエリアに自動的に登録して組み込まれる。さらにシステムの起動後もハードウェアへのアクセスはこの拡張BIOSを介して行われる仕組みが整えられており、ユーザーがドライバの組み込みや設定等の作業を行う必要は無かった。 I/Oは基本的にメモリマップドI/O方式が推奨された。このため、たとえ複数の周辺機器でI/Oアドレスが重複したとしても、アクセスの際にBIOSコールの時点でスロット切り換えを伴い、これによって自動的にマッピングが変更されるため、原理的に拡張機器間の競合が抑止されるというメリットもあった。
このスロットとBIOSを組み合わせ、互換性はBIOSレベルでのみ保証することによって、実際のハードウェア的な実装は各メーカーに一任され、多様化や低コスト化を可能とする一方、高い拡張性と柔軟性、ユーザビリティを実現していた。 この設計思想によって、プラグ&インストール&プレイではなく文字通りのプラグ&プレイを実現できていた、歴史上ほぼ唯一と言ってよいパーソナルコンピュータでもあった。
拡張ハードウェアの増設用に、スロット機構に接続するコネクタが最低1基装備された。多くの機種では差しこみ口が筐体上面や前面などに配置されていたため、ゲームカートリッジを交換する感覚で手軽に増設機器の差し替えができた。ただし電源投入時の着脱防止機構は搭載されていない。
「ファミコン」等の当時一般的だったゲーム機と同様に、カートリッジによるソフトウェアの供給も行われた。本体内部に搭載されたBIOSやRAM、また上記のコネクタによって接続されたカートリッジ内のROM(ゲームソフトである場合も、増設ハードウェアや拡張ボードのファームウェアである場合もある)も、システム上では全て等価で扱われる。
上記のようにスロットは周辺機器拡張の他、メモリの増設にも用いられた。しかしスロットは「ページ間のアドレス空間の移動や再マッピングができない」「1つのスロットに4ページ64KBを越える空間を配置できない」といったZ80に由来するメモリ空間・アドレッシングに依存した制約があるため、特にワークエリアとスタックが置かれるページ3の切り替えには若干の困難が伴い、スロットに単純にRAMページを増設するだけでは増設されたメモリの有効な活用がやや煩雑なものとならざるを得ないという事情があった。これを改善するため、MSX2規格制定時にRAMページの拡張を行う“メモリマッパー”が拡張規格として追加された。このメモリマッパーを用いることで、前述のスロットによるメモリ空間の拡張にまつわる制約の多くをクリアすることができた。また、後に登場したメガROMの一部にも、このメモリマッパー規格を応用し、酷似した仕様でROM空間の切り替えや拡張を行う製品が登場した。これらの手段はスロットによるメモリ・ページ空間をいわば「建て増し」する仕様のため、メモリマッパーやメガROMによるメモリ管理はやや煩雑なものとならざるを得なかった。
なお、スロットはプライマリースロットと呼ばれる4つの標準スロットと、その各々にセカンダリースロットと呼ばれるさらに4つ(都合最大16個)の拡張スロットが存在する。両者は基本的には同等とされ、多くの機器はどのスロットに挿入しても(規格の上では)変わらず動作する。ただし、複数のメモリ・機器を1カートリッジに収めるために内部でスロット拡張をする周辺機器も存在し、これはプライマリースロットに挿さないと動作しなかった。
これら独自の特徴を持つ一方、安価で広範なメーカーが参入できるという目標があり、「本体が5万円台で買えて、一般家庭に普通にある機器とつなげばシステムとして完成できる」事が必須だったとされる。このことから、MSX1においてはその構成に専用品を用いず、その時点で市場に供給されていた利用実績の豊富な既存の汎用半導体製品を採用している(後述)。これは堅実ではあるものの、仕様としては平凡なものとなった。また、当時の主だったパソコンが高解像度化を求められていた中にあって、最大でも256×192ドットの解像度だったことと合わせて、「先進的でない」と批判する意見もあった。[2]
MSXでは、半角(1Byte文字)でカタカナだけでなく、ひらがなの表示も可能だった事も特徴としてあげられる。これにより、MSXは漢字ROMなしでもカタカナとひらがなの使い分けが可能だった。また、特定の漢字(日月火水木金土・大中小・時分秒)は罫線などと共に半角記号(グラフィック文字)の中に入れられていた。なおMSXで半角ひらがなに割り当てられていたコード領域は、現在のSHIFT JISコードで使用されている。また、MSXにはPCG機能が用意されており、テキストモード(SCREEN0・1)では全ての文字形状をユーザーが自由に定義して使うことが出来た。
その他のコネクタ類としては、アタリのゲーム機と同様のポートを2ボタン仕様に拡張した汎用の9ピンコネクタ(主にジョイパッドやマウスの接続用)が搭載され、オプションでセントロニクス仕様の14ピンプリンタインターフェースも搭載された。汎用的な仕様のコネクタを採用したことは、のちに電子工作の接続・制御用途として重宝された。上記のスロットコネクタに関しては、電子部品を扱う店で電子工作用の汎用基板が入手できた。
キーボードの配列には、JIS配列と50音順配列(かな配列)の両方が規格にあり、ソフトでモードを切り替えることもできた。なおキーボードはパラレル入力で、同時押しもできたが、一部のキー以外にはダイナミックスキャンの回りこみ防止用のダイオードが入っていない(全部のキーにダイオードが入っていた機種があったかは不明)。なお、規格の上では、いくつかの特定の組み合わせを除いて、3つ以上のキーが同時に押下された場合の入力の整合性は保証されていない。また、セパレートタイプキーボードの規定は無いため、キーボードのコネクタは統一されていない。
| メーカー名 | MSX1 | MSX2 | MSX2+ | MSXturboR | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| ソニー | ● | ● | ● | ||
| 三洋電機 | ● | ● | ● | ||
| 三洋電機特機 | ● | ||||
| 三菱電機 | ● | ● | |||
| 日本ビクター | ● | ● | |||
| 東芝 | ● | ● | |||
| 日立製作所 | ● | ● | |||
| 松下電器 | ● | ● | ● | ● | |
| キヤノン | ● | ● | |||
| カシオ計算機 | ● | ||||
| パイオニア | ● | ||||
| 富士通 | ● | ||||
| ゼネラル | ● | 現富士通ゼネラル | |||
| ヤマハ | ● | ● | |||
| 京セラ | ● | ヤシカブランド:輸出のみ | |||
| フィリップス | ● | ● | オランダ、主に欧州市場 | ||
| 大宇電子 | ● | ● | 韓国 | ||
| 金星電子 | ● | ゴールドスター。現LG電子、韓国 | |||
| ゼミナ[3] | ●[4] | 韓国 | |||
| スペクトラビデオ[3] | ● | アメリカ | |||
| グラジエンテ | ● | ブラジル | |||
| シャープ・ド・ブラジル | ● | シャープの現地法人、ブラジル | |||
| タレント[3] | ● | アルゼンチン | |||
| レオナルドパジアルエレクトロニクス[3] | ● | ● | スペイン | ||
| CIEL[3] | ● | ● | ブラジル |
最初に発表された規格は、後に発表された上位互換のものと区別するために「MSX1」(エムエスエックス・ワン)とも呼ばれる。
※PSGはジョイスティック端子の汎用I/O機能、PPIは1ビットサウンドポートの役割を兼ねる。
CPUやVDPが同じであるため、カタログスペックではソードM5やセガSC-3000に似ている。当時の、ゲーム機との兼用の安価なパソコンとしては標準的な仕様といえる。
MSX1の以下の特徴は、日本においてある程度普及する一因となった。
しかし画面表示ではファミコンや同時期の他のパソコンに見劣りし、特にファミコンには普及台数で大きく水を空けられることになった。これを受けて次のMSX2が開発されることになる。
なお、シャープも1983年7月にMSXへの参入を発表するが、ブラジル法人が現地向けにMSX1「HOTBIT」を発売したのみに終わっている。
1985年に発表された、MSXに様々な機能を強化した上位互換の規格。
メイン・メモリが最小でも64KBと規定された。また、スロットとは別に、メイン・メモリをバンク切り替えで増設するメモリ・マッパーがオプションで規格に加えられ、これを用いることで最大4MBまでのRAMを搭載することもできた。 メモリマッパはRAMページのみを拡張する仕様で、スロットとは異なりメモリマッパ上のページを任意のスロットに割り当てることが可能な柔軟性を持つ点が、スロット上に配置されたROMやメモリマッパ非対応RAMとの最大の違いである。 海外ではメモリマッパを内蔵している機種が標準とされたが、日本では内蔵していない機種もあり、メモリマッパを想定していないソフトウェアも存在する。MSX-DOSおよびBASICとしてはサポートされないが、メモリマッパはスロットへ割り当てられるため、複数のマッパーメモリを直接操作することで、最大32MBに及ぶメインメモリの実装、管理も理論上は可能となった。
小容量ながら乾電池によるバックアップ機能も付加され、RTCや起動時の画面モードの保存、起動時パスワードの保持、Beep音の設定保存などに排他的に使用された。
VDPはTMS9918とソフトウェア的な互換性を保ちつつ、ビットマップ画面の追加やスプライトの拡張などの性能の向上を図ったV9938へと変更された。これらにより、本格的なパソコンとしての性格を強めた。VRAMの容量は64KBまたは128KB(機種ごとに固定、拡張不可)、システムの起動時には縦スクロールして大きいMSXロゴが現れ、規格内のVRAM搭載容量が表示された。 起動時に設定されるカラーパレットのデフォルト色はMSX1に近いものに設定されたが、カラーテーブルに完全な互換性が無いため、実際にテレビに写る色は厳密には微妙に異なるものとなっている。
一方で、V9938はスプライトの同時表示枚数が強化されていない・ビットマップの描画があまり速くない・PCGも強化されていない・横方向のハードウェアスクロールには対応していない、など、本格的なアクションゲームを作るには不向きで、例えば、面ごとの多彩なスクロールが持ち味であるコナミ「魂斗羅」のMSX2移植版は画面切り換え方式になっていた。作るとしても、VRAMの使用量が比較的少なく速度的に余裕がある、16色横256ドットのモードが使用されることが多かった。CPU速度が非力なまま据え置き、かつメインRAMも標準ではVRAMに比して小容量だったことも大きかった。 後に横スムーススクロールについては表示位置の補正機能を用い、ソフトウェア的に実現するソフトウェアが現れる。
SCREEN4以上の画面モードでのスプライトはモード2とされ、横ライン毎の着色指定が可能、重なり合った二枚のスプライトにより4色(スプライト1の色、スプライト2の色、両者のORを取った色、透明)の表示が可能。また、横方向に同時に表示できる枚数が4枚から8枚に、実際の色が重なっている座標を検出する割り込みモードの追加などが強化されているが、一画面同時表示が32枚までであることに代わりはない上に、重ね合わせの多色表示を行うとそれらの恩恵は利用できないという制約があったため、シューティングゲームの敵などは相変わらず単色のことも多かった。後に画面割り込みを利用して、見かけ上、倍の64枚表示を売り物にしたゲームも発売されたが、ごく特殊な例といえる。
高解像度モードも、横512ドットで、他のパソコンの640ドットに比べてドット数が不足していた。一方で、256色同時発色のモードは、少色・高解像度一辺倒だった当時のパソコンの中では異彩を放つ、充分にインパクトのある仕様だった。この後にシャープから256色表示のMZ-2500が、富士通から4096色表示のFM77AVが発売されるなど、当時の傾向に一石を投じたと言える。
なお、SCREEN5以降のモードでは、2画面切り替えでインターレース表示をする事で、縦方向の解像度を見かけ上、倍にする事が出来た。標準のBASICでは設定ができるのみで活用されてはいなかったが、後に発売された漢字BASICでは正式に使用された他、一部のゲームソフトやグラフィックツールでも使われていた。これにより、漢字表示の文字数などでは当時の他のパソコンにほぼ並ぶ事が出来た。但し、「家庭用テレビにつなげる」はずのMSXにあっては、いささかばかり環境もしくはユーザーを選ぶものだった(アナログRGB入力端子つきのテレビ・モニタを所有しているか、さもなくばRF・ビデオ出力では目立ってしまうちらつきを許容できるかどうか)感は否めない。
サウンドではオプションとして、文字多重放送とキャプテンシステムに対応したFM音源/ADPCM音源チップMSX-AUDIO(Y8950)等も発売されたが、本体価格に比して高価で、かつ対応ソフトも殆ど発売されず、普及しなかった。標準ではMSX1据え置きであり、この頃からFM音源をオプションとして用意、もしくは標準搭載され始めた他のパソコンに遅れを取っていた。この状態は1988年に松下電器から安価なFM音源カートリッジFM-PAC(MSX-MUSIC)が発売されるまで続いた。
このような要因もあり、MSX2になってもゲームマシンとしてはファミコンに遠く及ばず、パソコンとしても8ビット御三家などからグラフィックを書き直して移植されたものが大多数で、MSX2オリジナルのパソコン然としたソフトは少なかった。漢字ROMがオプションだったことも移植に影響した。またMSXのバンク切り替えを多用する規格上の制約からフロッピーディスクドライブなどの転送中はCPUの割り込み処理を止めざるを得なかったため、サウンドの再生が途切れる等の演出上の制約も、“チープさ”に拍車をかけていた側面は否定できない。
MSX2は当初、MSX1と並行して販売され、マーケティング上の差をつけるためにFDD・漢字ROM・マッパーメモリ(128KB~256KB)を搭載し、さらに本体・キーボードが分離するセパレートタイプで「本格的なパソコン型」の高価な製品が多かった。 これには、新規設計されたMSX-SYSTEMやMSX-SYSTEMII、V9938などの周辺チップ搭載や、8ビットパソコンとしては破格の大容量メモリを搭載する必要があったこと等から、製造原価を押し上げてしまったという事情もある。
こうして発売後しばらくは「2~6万円のMSX1」・「10万円クラスの標準的MSX2」・「FDD・漢字ROM内蔵、キーボードセパレートタイプで20万円程度の高級MSX2」の3路線のマシンが併売された。当時はワープロ専用機の全盛期でもあり、ワープロソフトを内蔵または付属した製品は数多く、10万円クラスの製品にはプリンタと一体化した製品も存在した。
MSX2発売当初はまだメガROMカートリッジは存在せず、FDDの無い標準的仕様のMSX2ではグラフィック機能を有効に用いられる事が難しかった。また高級機は、一般向けには他の独自仕様ホビー・ビジネス機と対象が重なり、16ビット機の台頭も著しかったことから、その性能の大きな変貌とは裏腹に、一般ユーザーのMSX2への移行は緩やかなものとなった。
MSX1規格のコンピュータをMSX2規格相当にする拡張アダプタも存在したが、それを用いてMSX2化したマシンとMSX2とでは、VDPが接続されるI/Oポートのアドレスが異なる。MSXの規格ではVDPを拡張したコンピュータの事情も考慮してアプリケーション側でその差を検出して吸収することになってはいたものの、後期のゲームソフト等では僅かな高速化のために拡張アダプタでMSX2化した環境での動作を諦めたものも少なくない。ただ、拡張アダプタ発売の可能性はMSX2規格発表当初からアナウンスされてはいたものの実際に発売されたのは1986年の夏、しかも直後には拡張アダプタよりも安価なMSX2本体が出てしまい、すぐさま存在理由を失っていたので、この割り切りも無理からぬところではある。
1986年秋、松下電器とソニーが本体・キーボード一体型の低価格機として、それぞれFS-A1シリーズとHB-F1シリーズを発売する。定価はいずれも3万円程。これは前出のMSX-SYSTEMやMSX-SYSTEM II、V9938の製造設備の償却が終了し単価が大幅に下げられたことと、他社16ビットパソコンの普及でメモリの価格が低下していたこと等の相乗効果による。その直前にメガROMカートリッジが登場したこともあり、安価に高機能グラフィックを楽しめるようになり、高額な他社のMSX2や表現力で劣るMSX1を抑え、主にゲーム機として小中学生を中心に普及した。
1987年、この両シリーズの後継モデルであるFS-A1F/HB-F1XDが登場。1基のFDDを内蔵して、定価はいずれも5万円程だった。ようやくソフトの供給メディアでは他機種と同列に並び、移植ゲームが多数発売された。また、ユーザーがそのグラフィックを中心としてデータを自由に扱える環境が整い、その後のMSX2規格を牽引していった。 両シリーズが普及したことで、MSX2以降も「キーボード一体型の、安価なオモチャのパソコン」というイメージが定着した。
一方、ソニー、松下電器、三洋電機、三菱電機以外の各社は、MSX/MSX2規格からは撤退していった。ホビーパソコンの市場は既に8ビットから16ビットの転換期にあり、パソコンから撤退したメーカーや、16ビットのAX規格にも参入するメーカーもあった。
MSX1に対応するソフトも、ROMカートリッジで供給されるゲームを中心に、MSX2+が登場する頃までは地道に作り続けられた。特にコナミなどには「MSX2に匹敵するグラフィック」を実現したソフトもあった。
MSX1・MSX2は合わせて、世界的には400万台が出荷されたと公称されている。
(太字はVRAM64KB、斜体は本体・キーボード分離型のセパレートタイプ)
この他、業務用(店頭端末用・工場などでの制御用・キャプテンシステム・ビデオタイトラー)の特殊な製品も存在する。
1988年に発表された、MSX2規格の映像機能を中心に強化した規格。
この規格では、VDPにV9938を小改修して横スクロール機能と自然画モードが追加された、上位互換のV9958を搭載した。また、漢字ROMが標準搭載とされた。
さらに規格上はオプションのままだが、内蔵の辞書ROMを使った日本語入力(MSX-JEなど)の採用、詳細は各社でまちまちだったフロッピーディスク・ドライブ(MSX DISK-BASIC)の規格や内部スロット配置の標準化、松下電器の開発したFM音源YM2413(OPLL)カートリッジ・FM-PACの規格の取り込み(MSX-MUSIC)が行われた。CPUやVDPなどの処理速度の向上は、規格上では行われなかった。
システムの起動時には左右から横スクロールで大きいMSXロゴが現れ、メインメモリの搭載容量がKB表記で表示された。市販された製品は64KB搭載のものだけだったが、拡張すればその分も加えての表示となる。
また、MSX2の一部機種で、メインメモリのチップのCMOS化によりバイパスコンデンサにより内容が保持されてしまい、電源を切っても5分近く内容が消えず、裏RAMに起動可能なROMイメージをコピーするとBASICなどが起動出来なくなる問題が起きたことから、起動時にメインメモリのROM識別IDに該当するエリアをクリアするようになった。またVRAMは、MSX2では消えていなかったSCREEN5のページ1が、起動時のスクロール処理に使用されるためクリアされた。
その他、平仮名など一部の8ドットフォントを変更し、SCREEN0で横2ドットが切れて読み辛くなる問題を改善した。なお、漢字モードではシフトJISコードを使用するため、ひらがなやグラフィック文字などのMSXフォントは文字化けする。
MSX2+規格に参入したのは、ソニー、三洋電機、松下電器の3社だけとなった。ヤマハはVDPとFM音源、東芝はZ80カスタムCPU(MSX-ENGINE2)などの部品を提供するのみになった。
発売された機種は全てキーボード一体型となり、セパレートタイプのマシンは発売されなかった。また、規格の上では必須ではないが大半の機種でFDDを1~2基搭載していたことから、供給ソフトのメディアの主流は完全にROMから価格の安いFDへと置き換わった。
MSX2の拡張オプションの標準実装化が多い規格のため、MSX2に各種オプションカートリッジを実装することで、VDP以外はほぼMSX2+相当の機能に出来た。VDPの新機能も、自然画モードは写真などの静止画に特化した仕様のため有効活用される場面は少なく、横スクロール機能もMSX2でも制限・制約付きながら実現されており、MSX2+のアドバンテージは然程大きくなかった。そのためMSX用ソフトウェアは2+発売以降も(「要・漢字ROM」等の但し書き付きの)MSX2対応がメインとなり続け、MSX2+専用ソフトは殆ど発売されなかった。
1990年に発表された、Z80上位互換の内部16ビットRISCライクCPU、R800を搭載した規格。turboRのRは、RISCに由来する。
R800は16ビットとはいっても、命令は乗算が追加された程度で、機能的には実質8ビットのままだった。またturboRでのR800の入力クロック周波数は28.636360MHzだが、実動作クロック周波数はそれを内部で1/4に分周した7.15909MHzだった。ただしR800は基本命令が、同じクロック周波数のZ80の4倍速設計なので、カタログでは「Z80換算で28MHz相当」という巧妙な記述がなされた。
turboRは従来のMSXとの互換性を維持するために、Z80相当品(MSX-ENGINE2)と、R800使用時におけるZ80バスサイクルエミュレーション機能を搭載するシステムLSI S1990を実装している。R800自身もメモリ管理なども含め拡張されたCPUであるが、互換性等を考慮し、高速なZ80として使われている。システムではソフト切り替えで2つのCPUを排他的に使用するようになっているが、従来のソフトウェアは自動的に互換モード(Z80)で動作するようになっていた。ソフトウェアによる切り替えが可能だったことから、ディスクのソフトをブートブロックの書き換えにより強制的に高速モードで動作させるツールもありこれを用いて高速化も出来たが、保証外の行為であり、Z80でのタイミング依存などにより正常に動作しないケースもあった。turboRリリース後に発売されたゲームの中には、起動時にチェックを行いMSX2/2+対応でありながら、turboRでは高速モードで動作するゲームもあった。
MSXturboRはメモリ・マッパ機能を使用してメインメモリを拡張し、日本語対応のMSX-DOS2を内蔵した。しかし、開発中とされた新規VDPの採用は見送られ、V9958による表示が著しく足をひっぱる形となり、VDPアクセスにいたってはウェイトが増加する状況だった。そのため、描画を行わないソフトウェアでは高速な動作をするものの、描画処理が増えるほど旧機種との見た目の差は埋まってしまい評価としては低いものになってしまった。また、内蔵のメモリマッパは仕様による制限があり4MB弱のメモリを直結することは不可能になっている。起動画面はMSX2+とほぼ同じだが、スクロールが速くなった。
音源ではMSX MUSICが標準搭載になったほか、8ビットのPCMの録音再生機能もついたが、PCMの使用中はBIOSレベルではCPUの他の処理を止めてしまうため、他のPCM/ADPCM搭載機のように音楽を奏でるのに使うのには著しく難があり、利用例は多くなかった。しかし、後年にはVDPの走査線割り込みを利用することで並列再生させたソフトもあったが、MSXは元々1ビットD/Aのサンプリング機能を持ち、またPSGを使用しての4ビットPCM再生をさせたソフトも存在した事から、それほど注目はされなかった。
MSXViewというGUI環境がオプション規格として用意された。これは1987年にHAL研究所から発売されたMSX2向けのGUI環境のHALNOTEというソフトを発展させたもので、3.5インチディスクと漢字ROMカートリッジを同梱してアスキーから1991年に発売された。MSXturboR本体のみでもMSXViewは動作できたが、12×12ドットのフォントが収められた漢字ROMカートリッジがあれば、内蔵フォントを圧縮するための負荷がなく、より軽快に表示することが可能になっていた。このFD版とA1GTに搭載されたROM版があったが、前者は頻繁にシステムディスクを要求されるため、シングルドライブ環境ではとても実用的とは言えなかった。MSXView向けのソフトは、表計算ソフトのViewCALCやフリーソフトウェアがいくつかある程度で終わっている。
また、細かいところではカセットテープ端子が操作用BIOSもろとも規格から削除されたほか、殆んど使用されなくなっていた周辺機器用のBIOSも一部が無くなり、今シリーズまで維持されていた旧仕様の完全な「上位互換」ではなくなった。
対応機を発表したのは松下電器のみで、まず「FS-A1ST」が、続いて翌年の1991年に「FS-A1GT」が発売された。多機能化が図られた結果、設定価格は消費税込みで10万を超え、当時の他の16ビット機種と比べて価格の優位性を示せるものではなくなっていた(当時のPC9801互換機で最廉価のものは12万円台だった)。その後、松下の開発チームも解散し、これが日本で市販されたMSXシリーズの最終機となった。
なお、松下のMSX2+/turboRは、FS-A1WXからFS-A1GTに至るまですべて、筐体のデザインを流用していた。
これでMSXの市場はほぼ終焉したものの、後に残されたMSXの専門誌は形態を変えてしばらくは細々と発刊を続けた。また、ユーザーによるハード製作などの活動が、活発に行われるようになった。 その後、1995年をもって全てのMSX規格対応コンピュータは生産を終了した。また、「家庭用テレビにつないで使う」という発想のパソコンも、若干の例外を除けばこれにて潰える事となった(FM TOWNS マーティー等もあったが、MSXよりも早く製造終了している)。
今日、MSXユーザはシェア・ベースでは目立った勢力ではないが、依然として活発なユーザが存在しており、インターネットなどのネットワーク上でMSXにまつわる様々な活動が今なお繰り広げられている。2002年には商標やシステムソフトウェアなどの管理を行う任意団体「MSXアソシエーション」が発足し、公式のエミュレータMSXPLAYerも公開された。また現在、1chipMSXが製品化されている。ただし、これを「MSXパソコン」と称して良いかは意見が分かれる。今のところメーカーも、「1chipMSXパソコン」とは呼んでいない。
他にも、非公式ではあるものの有志の手によりゲームボーイアドバンスやPSPなどでエミュレーターが開発され、開発に携わった西の想定していた「持ち歩けるMSX」のようなコンセプトは有志の手により現実のものとなりつつある。
Marat FayzullinのMSXエミュレータ fMSXをベースにして、MSXアソシエーションが開発した公式エミュレータ。MSX turboR相当。Windows版とPocketPC 2002版が存在する。これは現在多く発表されている公式エミュレータによるレトロゲーム配信の草分けとなった。MSXマガジン永久保存版の付録CD-ROMにMSXPLAYerが入っている。限定生産されたUSB接続の「MSXゲームリーダー」を使用することでMSX用のROMカートリッジのゲームを楽しむことができる。MSXマガジン永久保存版2号ではBASICコンパイラ「べーしっ君」の命令も使用できる。MSXマガジン永久保存版3号が後期バージョンでMSX実機の再現度も高くなっている。
正式名称は「MSXPLAYer」で「MSX」と「PLAYer」の間に文字は入らないとされる。
なお、MSX規格の規定によりMSXロゴを使用することができないため、MSXロゴをベースにした独自のロゴマークを使用している。このような過去のハードやソフトを「公式の」エミュレーターとして販売した事例は2002年当時ではきわめて珍しく、後のエミュレーターによるソフト販売や旧ハードソフトウェアのリメイクなどの企画に大きな影響を与えている。
同人サークルの似非職人工房が手掛けていた、MSXを周辺チップも含めて1チップ化する似非プロジェクトがMSXアソシエーションに引き継がれ、FPGA(Field Programmable Gate Array)による大胆なアーキテクチャの変更が行われた。当初はMSX1相当1スロット機の仕様で製品化が検討され、アスキーのWEBサイト上にて2005年5月20日より2005年8月20日まで予約注文が行われたが、予約数が最低目標の5000に満たなかったため、2005年8月26日、アスキーによる製品化は見送られた。
その後の動向が注目されていたが、2006年8月11日、MSX2相当の仕様に改められた試作機が一般公開され、同年11月に発売された。発売元はD4エンタープライズ、価格は20790円。通販での購入にはクレジットカードが必要。実店舗で扱っている店も存在した。なお、本機は5000台の限定生産で、2008年9月に完売し、販売を終了した[6]。
本体は上面に拡張スロットを2つと電源・リセットスイッチを、手前にジョイスティック端子2つなどを配し、カートリッジ使用ゲーム機のような見た目をしている。拡張スロット2つは近接しており、スペースを大きく占有する機器ではスロット1つだけが使用可能。筺体はブルーのスケルトン仕様で、アルテラのチップが大きく目立つ。出荷時の設定ではMSX2相当の回路になっており、MSXパソコンのように使える。記憶媒体としてSDメモリーカードまたはマルチメディアカードが使用可能。将来性を見据え、拡張用にUSBも2つ備えているが、制御ドライバが内蔵されていないため現時点ではダミーポートである。出力はビデオ・S映像の他、VGA端子でディップスイッチの切り替えにより15kHz(実機とは同期のタイミングが異なる上、同期信号がコンポジットに切り替わる)/31kHzに対応する。キーボードはPS/2仕様のものを使用する。CPU速度は3.58MHzの他、非公式設定で10.74MHz相当にも変更可能。DISK-BASIC(SD/MMC用、ディップスイッチで切離し可能)、JIS第一水準の漢字ROM、MSX-DOS2、MSX-MUSICとSCC互換の拡張WAVE音源の機能も搭載する。メインRAMは1Mバイト、VRAMは128Kバイト。クロックICは無い。等速読み書きでデータレコーダの接続も可能である。ただし、FDDを利用する場合、MSX用の物が別途必要となる。また、実機では乾電池で保持されていたRTCの時刻、SRAMに保持される内容等は電源断と共に消失する。
比較的素直な構成になっているボードであり、ファームが書き込まれた評価ボードと考えた場合、破格の価格設定ともいえるが、MSXとして販売したことや、5000台限定という供給の不透明さもあってかMSXとして以外の使われ方はまれである。
プログラミングや改造によって回路変更を行うことで、さまざまな用途に活用したり、さらには「夢のMSX3」を自身で設計できると言った触れ込みだった。しかしチップの規模から未使用の論理ゲート数は少なく、現状から大きな拡張をするのは困難とされる。2008年現在、FPGAを書き換えてMZ-700化した例もある。開発には別途PCが必要となる。 また、有志によって、VDPをスクラッチから書き直し、MSX2+相当にするファームも開発が進行中である。
2006年、Wiiの価格発表の場において、旧来のゲームマシン・パソコンで供給されていたゲームソフトをインターネット上からダウンロード販売する「バーチャルコンソール」へのMSXソフトの投入が発表された。i-revoなどで多くのMSXゲームの復刻実績を有するD4エンタープライズが参入したことによって実現した。この計画では新作のソフトを配信することも計画されているために、有名メーカーからの新作MSXゲームや試作品や体験版のみにおわったMSXゲームの完成版などが配信される可能性もある。
ソフトウェアの配信開始は当初2007年春の予定としていたが、度重なる延期が続き、2008年5月27日より配信が開始された。 配信第一弾となったタイトルはシューティングゲーム『ALESTE』(コンパイル / 1988年 / 800Wiiポイント)。第二弾はアクションゲーム『EGGY』(ボーステック / 1985年 / 700Wiiポイント)。いずれも配信元はD4エンタープライズである。
なお、現時点では、MSX BASICなどゲームコンテンツ以外のソフトウェアの配信は発表されていない。
諸説存在するが、アスキーの創業者でマイクロソフトの副社長でもあった西和彦が1984年に語ったところによれば、由来はMicroSoft eX の略とされる。Xには「eXchangeable」「eXpandable」「eXtended」などの意味が含有され、また日本語訳のときにXは拡張性が無限に広がるという意味もこめて未知数のXであるとされている。後年のDirectX、ActiveX、Xboxなど、マイクロソフトの「X好き」はこの頃から現れていると指摘する声もある。
MSX2+以降、参入メーカーが、松下電器産業(松下電器)、ソニー、三洋電機、と、頭文字が軒並みMとSだった事から、そのうちの代表格と言えるメーカーから「Matsushita(松下)・Sony(ソニー)・Xの略では?」などと、当時のユーザーや雑誌編集者が冗談混じりに語る事もあった(三洋電機も略称内に含める事もあった)。この冗談は、統一規格を謳いながらも限られた会社からしかハードが発売されなくなってしまった状況の変化を皮肉ったものだった。
同様の説を、やはり冗談だと断った上で、単に家電メーカーの代表格が松下とソニーであるという趣旨で紹介した書籍もある。[7]
主に後年になって語られるようになったものであるが、規格構想時は確かに「松下電器とソニーのMSX」であり、それが後に建前上の理由から「MicroSoftX」に変化した、との説も存在する。書籍により語られるようになった後、当事者が当時を振り返っての公演・発言をする際に同様の趣旨の事が言われるようになった。
曰く、MSXの初期の構想時にはマイクロソフトは関与しておらず、西和彦と、規格の推進役かつ後ろ盾だった松下電器の前田一泰のイニシャルから、当初はMNXと呼ばれていた。だがこの名称は既に商標登録されていたため、ソニーが話に加わった事でMSXと改まった。しかし日本のメーカーが提唱する規格の基本ソフトがアメリカのマイクロソフトだという点に通産省からクレームがついたことで、松下とソニーは前面に立つわけにいかなかったため、名称はそのままに、「マイクロソフトのMSX」と説明した、という経緯とされる。
この事はある書籍[8]に初めて書かれた後、規格発表当初はマイクロソフトから取ったと語った西和彦も同様に語るようになった。2000年のイベント「電遊ランド2000」の講演会で、この説について質問された際もそう受け取っても構わないと答えたという。翌2001年の「電遊ランド2001」での前田一泰の講演でも、同様の趣旨の発言がされている。
規格発表以前の段階では、MSXや前述のMNXの他に、西和彦の名からNSX、アスキーから取られたASXなどが候補に上り、商標登録された。
MSX仕様に準拠したハードウェアとソフトウェアにはMSXのロゴマークがつけられた。MSXマークがついていればMSXで動くと分かるように、ホームビデオのVHSを参考に発案・デザインされた。以後、MSX2、MSX2+、MSXturboRとMSXがバージョンアップする度にロゴは作られて、MSX2からは起動画面にMSXロゴが表示されるようになった。公式MSXエミュレーターMSXPLAYerにおいてもMSXのロゴは踏襲された。デザインは全て西和彦が元になるアイデアを出している。
このロゴマークのついたMSX仕様のソフトウェアを発売する際にロイヤルティーは不要。これはMSX発表当時、対抗規格を打ち出して来た日本ソフトバンク(現ソフトバンク)の孫正義と西和彦のトップ会談によって決定されたものである。
MSXは単価が安く、またカートリッジスロットからZ80のメモリバス、アドレスバスをそのまま引き出すことが出来るため、Z80の付随回路としてシンプルに設計でき、拡張や工作が容易である。80系/Z80系の環境では標準とも言えるCP/M互換のMSX-DOSという原始的なOSや開発環境も整っており、既存のCP/M環境やMS-DOS環境からのクロス開発も容易だったため、組み込み用や制御用にも多く流用されていた。
一部の市販ビデオタイトラーやビデオテックス(キャプテン)システム、また公共施設等に設置されたビデオ端末や簡易ゲーム機などにもMSXを流用したハードウェアが内蔵され、稼動していた例も少なくない。観光地の記念メダルの刻印機として2008年現在、今なお稼働している機体も存在する。
特にビデオタイトラーでは、SonyブランドのXV-J550/J770/T55FシリーズやPanasonicブランドのVW-KT300などの家庭用タイトラーのハードウェア構成は明らかにMSXを応用・流用したものである。ただし、これらの機種では基本はMSXシステムをベースとしていても独自の実装がなされており、特にBIOSなどは大幅に簡略化されMSXとしての機能は望めないなど、簡単な加工程度では汎用のMSXシステムとして使うことは不可能である